あたる君~、ちょっと来て
3階病棟担当のあたる、院内電話で御稲荷医事課長に呼出される。
1階の御稲荷医事課長のデスクへ行ってみると紙資料を指差す。
10日締めのレセプト請求が終わり、先月の総売上が出たのだ。
あたる君、2006年の診療報酬改定の影響がモロ出てきたわね
ありゃ~、課長、売上前年比5%マイナスですね
あたるの丸出中央病院は病棟構成を先月変えた。
というより2006年の診療報酬改定で変えざるを得ない状況であった。
基本料は一般病棟入院基本料2の10:1の看護基準に変更できたものの、それ以外の加算などはことごとくマイナス要因。
やはり亜急性期入院医療管理料を考えませんか、課長!
ウチは今回の目玉の訪問診療や疾患別リハビリテーション取ってないからね。
今回の改定でプラス要因となるものは訪問診療では在宅時医学総合管理料が新設された。
ターミナルケア加算(看取った場合の加算)に至っては1,200点(1万2000円) から10,000点(10万円)へ大幅に引き上げられた。
疾患別リハビリテーションも大幅に変更、日数制限が付いたものの、患者1人1日当たりの算定単位数の上限を4から6単位までに拡大し、セラピスト1人1日当たり単位数の上限も24単位、週108単位までと緩和された。
でも課長、訪問診療は訪問行ってくれる医師が居ないし、リハビリは部屋作るスペース有りませんよね
そ~なのよね、その辺動いて指示出しするの事務長だわよね~。なんで私がこんな事で頭悩まさなきゃなんないのよ!
まあまあ課長落ち着いてください、ウチの事務長は施設基準に口出しあまりしませんが御稲荷課長の言うことはよく聞いてくれるじゃないですか
あたる君!
そういう問題じゃないのよ、
このままだとマルチュウ(丸出中央病院)が存続できなくなるって言ってるのよ!
わかりましたよ課長、医事課からの提案という形で今後どんな施設基準を取ってゆくか雛形作ってみます
2006年の診療報酬改定は過去最悪のマイナス改定であったが、2025年問題(団塊の世代が75歳以上になる為、医療費が膨大になるとともにそれを支える若者の人口が大幅に減ってくる)に向けての第一歩。
病院にはなるべく短く入院、あとは自宅で療養~看取りをするための布石である。
診療報酬改定の基礎固めが完了し、2000年から始まった介護保険へのシフト段階へ入ってゆく。
そして2014年の第6次医療法改正での病床機能報告制度と地域医療構想の策定、地域包括ケアシステムに繋がってゆく。
2006年、療養病床に入院する医療区分1の患者に対する診療報酬設定について「こんな低い点数だったら(病院から)追い出される、まさに 意図的にそういう点数にしたんですよ」「家で死ねってことです」と述べているたのは厚生労働省の麦谷医療課長(当時)。
まさかそんな方向に進んでいるとは、なんとなく危機感を持っている御稲荷課長であったが、当時のあたるにはまだ理解できなかった。
外は豪雨。
あたる君、ちょっと脚立持ってレントゲン室前に来てくれない?
事務長のタヌさん(田貫事務長。愛称でこう呼ぶ古くからの職員も多い)から電話で呼び出される。
事務長、持って来ました。また雨漏りですか?
そうなんだよ、先週は検査室前で今度はここだよ。もう40年も経っている建物だからね。
とりあえず点検口が近くにあるからっちょっと見てみるよ
事務長のタヌさんは、こまめに動く。職員の訴えには素早く動き、職員の皆から信頼を得ている。
あたるも病院トップの事務長が気さくに自分に声をかけてくれたりと良い事務長だなと感じている。
あたる君すまないね、総務に男手居ないんでいつ頼んじゃって。
ありゃ、ダメだな。
あたる君バケツとタオル用意してよ。このままじゃあ天井ふやけて落ちちゃうから私が支えているから急いでね
あれ、タヌさん何してんですか?
と増井先生が通りかかる。小さな病院であるが麻酔科の常勤専門医がいる珍しい病院でもある。
あ、増井先生。昨日の全麻は素晴らしかったって田村さんが(オペ看)言ってましたよ
うん、でも君、、、ずぶ濡れで天井支えてて大丈夫か?
あ、診察室2の前もポタポタしてるよ
分かりました、直ぐ見に行きます
でも今は両手塞がっているタヌさんであった。
7月、全体集会。丸出中央病院では月初の水曜日参加できる職員を集め13時から20分ほどの集会がある。
院長から初まり役職者のお言葉とか新入職員の挨拶がある。
で、事務長のタヌさんが一言。
今季の夏のボーナスは1.4ヶ月でお願いします
ざわつく、、、
いつもの1.8じゃないんですか
何でですか~?
え~、
どんどんざわつく、、、
丸出院長! 一言お願いしますー
あたるの病院では今までどの役職者、職種も一律に基本給の1.8ヶ月分支給されて来た。
人事考課という物も無い。院長のさじ加減である。
えー、みなさんにはいつも感謝しておりますが、ちょっと経営状況が悪化してまして、、、
ご協力をお願いしたい次第です
近年の診療報酬改定の対応が遅れ気味で、8年くらい前は順調な黒字経営であったが、だんだん黒字幅が減少し赤字月が去年からちらほらの状況。
数日後
あれ、事務長何やってるんですか?
あたるが外来のトイレの前を通りかかるとタヌさんが何やら大きな段ボールを解いている。
あ、あたる君トイレの便座が壊れちゃってね、近くのホームセンターでウォシュレットの便座買って来たんだ。
ニッキュパ(29,800円)だよ安いでしょ!
職員の賞与も減って事務長も大変だ、でも業者に頼まず自分でここまでやるんだ。事務長偉いなと感心するあたるであった。
3月昇給昇格の時期、 全体集会。
司会進行を務めるタヌ事務長
定刻になりましたので、院長先生からお願い致します
皆様いつもご苦労様です。え~、、、
院長の歯切れが悪い。
っとですね、今年度の当院の業績があまりよろしくありません。
で、、え~、、つきましては、4月からの昇給・昇格を暫く凍結します。
皆様のご協力をお願い致します。
ざわつく
が、今回は誰も発言して来ない。院内は既に噂でこの病院危ないらしいと言う情報が飛び交っていた。
あたるも噂は聞いていたが、まさか昇給しないなんて少しショックを受けていた。
丸出中央病院では、人事考課も無く、昇給は職種に関係なく一般職は一律4,000円、役職者はもう少し多く昇給するらしい。
あたるはこの時、就業規則の存在もまだ知らなかった。
4月のある日、 携帯電話着信音。
あたる君元気? 百江よ、山口百江
山口さんお久しぶりです、どうしました?
あたると百江は福祉系大学の同級生でゼミも一緒であった。
卒業後は別々の病院に就職したが、年に1回程度は情報交換も兼ねた飲み会で数人と会っていた。
実はね、うちの病院で医事課の主任が辞めちゃって、誰か補充しないと回らなくなって来てるの
引き抜きのお誘い!
現状を考えると今の病院は大学卒業して8年、もう30歳になるし昇格も無かった。
あたるの心は揺れうごき出した。
そうなんだ、僕みたいのでも良いの?
あたる君、大学でゼミ長やってたじゃない、頼りになるなって思って
そうかな~、、、面接とかあるの?
面接は有るわよ、私今年から係長に昇進したんで医事課長と一緒に面接に入るわよ
面接くらいなら受けても良いか、ダメでも職を失うわけでもないし。
へー凄いね。係長か。僕なんかまだヒラだよ。
じゃあ先ず履歴書送ってね、宜しくね~
山口百江が勤務する茂木総合病院。
面接の為玄関に立つあたる。
病院は古く築40年は経っている感じ。あたるの病院と建物は変わらない感じだったので違和感は無かった。
受付で面接に来た旨を伝え外来待合室でしばし掲示物を眺める。
へー、モテソウって(茂木総合病院)10:1なんだ。3病棟あって128床、お、亜急性期の病床も有るんだ。
今あたるが勤務する病院も10:1だったが、平均在院日数がキープできず、最近13:1に落としていた。
あたる君、こっちこっち
山口百江が元気よく手をふって向かってくる。
本日はよろしくお願い致します。當誠です
あたるの本名は、當 誠(あたる まこと)
群馬県前橋市出身、東京に有る福祉系大学を卒業後、丸出中央病院で医事課一筋8年間勤務、賞罰なし、役職なし、30歳、独身。
シンプルな履歴書で有る。
面接は鬼斬医事課長と途中から伊多知事務長も加わり20分程で終了。
面接終了後、山口百江が病院内を軽く案内している。
あたる君、もしうちに来るとなると私の部下になっちゃうけどそれでも大丈夫?
山口百江は物事をストレートに表現するタイプで話は早いがせっかちなところもある。
が、気さくな性格で昔から話が合うなと好感を持っているあたるであった。
でも、来てもらえるなら主任で考えるように提案しておくわよ
数日後、あたるの元へ一通の封書が届く。
開けてみると副主任で採用の内定通知書であった。
2ヶ月後、あたるの上司は山口百江となっていた。
入道雲がセミの鳴き声に踊らされている暑いが気持ちの良い空が有った。
そして半年ほど経った2月の寒い日
あたる君、ちょっと来てくれない
鬼斬医事課長から呼び出され課長のデスクへ行くと、山口係長と鬼斬課長が何やら分厚い資料と睨めっこしている。
どうしました?
伊多知事務長から、今度の報酬改定で看護必要度ってのが導入されるから対策を医事課で纏めておくようにだって。
それと新設された医師事務作業補助体制加算の取得を検討するようにって指示されたのよ。
亜急性期病床に変換したり、7:1検討資料作れだの、特別食の数が少ないとか、栄養指導や服薬指導もっと取れんじゃないかと口うるさいわりに自分じゃ何もしないのよ
ちょっと困り顔の山口係長。
なに?弱気な発言、山口百江!
鬼斬課長はいつも強気だ。
だって、医師事務作業補助なんてうちの病院じゃ鼻から無理ですよ
二人が見ていた分厚い資料は診療報酬改定に向けての答申の資料だった。
あたるもこの道10年近くなので一応目は通していたが7:1の急性期病院と医療療養型がターゲットなんだくらいにしか感じてなく、10:1のウチにはあまり重要な項目は無いかなとも思っていた。
でも確実に看護必要度はウチの病院に影響は与えるのは分かっていた。
まあまあ、お二人ともそんなに熱くならないで
あたる君、あんたに任せる!
それも有りかしらね
と言い鬼斬課長は資料を渡そうとする。
あ、この資料は有りますから
と言いながらあたるは頭の中を整理していた。
伊多知事務長はあたるの入職する3ヶ月前に前任の事務長が院長兼理事長ともめて病院再建の為、紹介会社を通して別の病院からやって来た。まだこの病院に来て1年弱で有る。
あたるとは、面接でちょっと口を聞いた以外は時々廊下などですれ違う時に「お疲れ様です」って挨拶くらいしか接点は無い。
丸出中央病院事務長のタヌさんとは大違い。なんかタヌさんみたいな、あったかい感じの事務長の方が良いよなー、とも思っていた。
3月中旬
4月の診療報酬改定の概要が点数も含め既に出ていた。
この1ヶ月あたるは鬼斬課長、山口係長のアドバイスを受けながら2008年度診療報酬改定の対応を纏めていた。
当然、看護部の総師長(モテソウでは看護部長と言わず総師長という名称を使っている)を通し各病棟師長からの意見も聞いて数ページのレポートを作成し、鬼斬課長に渡した。
あたる君、グッジョブ! 少し遅れ感があるけど事務長にぶつけるわね
そう言えば、丸出中央病院では施設基準に関しては御稲荷課長が決めて全て処理して事務長のタヌさんはほとんどタッチしてなかった。
その事に何も疑問は感じなかったが、ここ茂木総合病院は事務長が施設基準に対して主導権を持っているんだと感じた。
5月初旬のある日
あたるはレセ業務で毎日10時頃まで残業。まあ、月初の10日(保険者への請求締め切り日)まではいつもの事だ。
そう言えば、物品発注伝票を総務に取りに行くのを忘れていた。
あ、もう9時か~、総務誰かいるかな、、、
とぶつぶつ言いながら経理・総務室へ向かう。
誰もいなければ鍵が掛かって入れない。
ドアをノックすると、「どうぞ」男性の声。
ドアを開けると、伊多知事務長が一人残っていた。
お、あたる副主任。どうしました?
あ、伝票が無くなっちゃって、1束もらいに来たんですが
そこの棚に有るから探してみて
あたるは、伝票を探しながら事務長の方を見ると、レセプトの山を片っ端からチェックしている。
事務長、毎月全レセプトチェックしているんですか?
主要なデータを拾うため毎月やっているよ、あれ?ってのがあれば鬼斬さんに注意して改善してって繰り返しだ。、、、
特に診療報酬改定時の4月と大きな施設基準変更時は要チェックなんだよ。
そう言えば丸出中央病院のタヌさんは、そんな事は一切しないで御稲荷課長に任せっきりだったのを思い出す。
この時、あたるはどっちの事務長が良いのかまだ分からなかったが、伊多知事務長の言葉は心に残った。
この4月にあたるは主任に昇格していた。
8月にはモテソウ(茂木総合病院)に来て1年、医療安全委員会のメンバーに。
毎月開催される医療安全の会議に総務の吉祥寺副主任も出席していた。
ある日、帰りのバスで吉祥寺副主任と一緒になり隣の席になる。
あたる君、伊多知事務長ってどう思う?
どう思うって、あまり接点が無いので、、、
イタって、あんまり病院に居ないのよね~。
なんか有ると事務長不在でって、何時もこっちに対応が回ってくるのよ
”総務の子は事務長の事、イタって読んでいるんだ”
でも何であまり病院に居ないのかあたるには不思議であった。
なんか研修とか、学会・医師会とか、どこどこの病院に行ってくるとか、なんか好き放題!
それに前の事務長がやってた仕事はほとんど私たちに振って来て、人は増やさないの!
あ、ちょっと愚痴ってしまって、、、忘れてね
とあっさり言い残し次のバス停で降りて行った。
まあ、総務のスピーカーと言われてるのは聞いていたがちょっと不味いなと感じつつ、そう言えば、伊多知事務長ってあまり会う機会が無いなとも実感するあたるであった。
あたるがこの茂木総合病院へ来て4年が過ぎた。(あたる34歳)
秋には150床の回復期リハビリテーションがオープンする。
3年越しで国と県の医療構想に従い病床獲得、土地買収、設計施工契約、資金繰り、着工まで、伊多知事務長が先頭に立ってこのプロジェクトを進めて来た。
あたるには何となくそんな感じは伝わっていたが、プロジェクトにはノータッチなので詳細は分からない。
でも、レセプト業務の総括を任されているので何となく毎月・毎年保険者への請求額が上がっているのは実感していた。
事務長があまり病院に居ない理由もそのあたりが理由だと感じていた。
あたるは、施設基準も小まめにチェックする癖も付いて来て、少しずつ自分の提案をするようにもなっていた。
でも相変わらず伊多知事務長の指示も鬼斬課長からそのまま降りてくる。
レセコンを見ながら、丸出中央病院のタヌさんの事があたるの頭をよぎる。”そういえば、、、、”
タヌさんは、職員が困っていたらすぐ何でも対応していた。
タヌさんは、必ず朝早くから夜遅くまで病院にいて病院の番人の様であった。
タヌさんは、病院の皆んなから信頼を得ていたが、院長とは馬が合わない様であった。
タヌさんは、各部署の仕事内容は有る程度把握していて広く浅い知識で何でも対応していた。
タヌさんは、施設基準は医事課に任せっきりであった。
でも、モテソウのイタさんは全て逆であった。
事務長って、何だろうとあたるは思った。
さらに1年が過ぎ、あたるは山口百江と付き合いだした。
同じ病院、同じ部署の恋愛は少し気まずい。
伊多知事務長の動きを見ていて、病院の経営・運営に興味も出て来ていた。
山口百江には今の病院に残ってもらい、自分は違う方向性を捜そうと他病院の面接を受けてみた。
そして、面接の結果が。
内容は医事課長補佐での内定であった。